戦後横浜野毛界隈 nogelog

大正生まれが野毛界隈を語る。

東京帝大出の浮浪者

 京浜急行線、日の出町駅東側上の台地の崖に小さな防空壕があり、一人の浮浪者が住んでいた。髪をボウボウとのばし、髭ものびるがままで風呂にも入らず、顔はくすぶっている。その防空壕の前は高台の空地になっていて、そこに立って見渡すと、焼跡に建てられた木造の家並みの向こうに横浜港が一望でき、まさに展望抜群の場所である。浮浪者は黒いオーバーコート、色不明のくすんだ背広を着て、黒皮のボロ靴を履いている。日の出町駅の横の石段を登って行くと、その高台に出る。「コンチワー」と声をかけると、「ヤアッ」とい 言って前歯の抜けた柔和な笑顔があらわれる。彼は、空地に竈をつくり、たった一つ持っている大きな飯盒に、飲食店のゴミ箱から拾ってきたのだろうか。ギンシャリの残飯を入れてお粥をつくる。一人暮らしの浮浪者の病死がよくあったので、竹さんは、巡回のとき立ち寄ることにしていた。ある日、竹さんは、なにげなく浮浪者の読んでいる本を見て驚いた。外国語の原書、哲学書、中央公論などと、むずかしい本ばかりだ。竹さんが「あなたは学者ですか?」と尋ねると、「東京帝大で哲学を勉強しました。」と答え、ウララカな春の日差しをいっぱいに浴びて、前歯の抜けた黒い顔をほころばせ、気持ちよさそうにニコッと笑った。

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