戦後横浜野毛界隈 nogelog

大正生まれが野毛界隈を語る。

恐縮で始まり謝罪で終わる職務質問

 交番勤務は、「立番、巡回、休憩」の繰り返しが基本だ。その目的は、管内住民の安全を図ることだから犯罪人の検挙が第一の要件となる。だが、その手段である職務質問は、「見えないものを見る」神業的技術が必要なのだ。職務質問ほど『正義感と、やる気』を要求される仕事はない。それは、法律で許される職務質問の要件が現行犯に近い外見がなければできないからだ。道路を通行する多くの人びとを質問し、その中から一つまみの犯罪人を発見するのだから、結局は、多くの善良な人びとをも交えた無差別質問となる。だから「失礼ですが」と声をかけ、所持品等を見せてもらう。当然、善良な人の方が多い。そのたびに「失礼しました。」と深ぶかと頭をさげる。職務質問は、一日に何回も謝罪するので、謝罪の連続とも言える。ある魚屋さんは、朝早く市場に買い出しに行く、その都度、竹さんに質問され、「いいかげんに顔を覚えてくれよ」とわが子を諭すように懇願した。竹さんは「普通なら怒られるところだ。」と反省し、その温顔に感謝した。竹さんの職務質問は、所持品に重点をおき、その者の顔を見なかったのだ。それからの竹さんは、顔を見て職務質問をするようになった。ノロマの竹さんは、こんな人達に支えられて警察官生活を始めたのだ。
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おかまのふじこさん(伊奈正人)

 うちの実家の向かいにある居酒屋の何番目か前の経営者のころ、ふじこさんという人がつとめていた。いわゆるおかまのひとであった。内藤陳さん@トリオ・ザ・パンチにちょっと似たカンジで、しかしなかなかの長身。足がすらっとしているのが自慢なのか、いつも颯爽と短パンなどをはいており、軽くアタマに手を添えたキメのポースが得意だった。なかなか気を遣う人で、人の善意のふところに入るのはそこそこうまいのであるけれども、なんかすごく疲れているなぁと、子供心に思った。
 ありがちなことだが、口はめちゃめちゃ悪い。そういう素朴な好意の表し方をする人だった。大の巨人ファンで、巨人が優勢だと、飲み屋の中からでかい声で「うぉーーー」と雄叫びをあげる。ホエールズファンのうちの母親などが、「くそぉバカ野郎」とか怒鳴る。すると「弱いねぇ、大洋は!」と聞こえよがしにいう。逆転したりすると、今度はこっちが「うぉおおおおお」と言う。向かいからは、「くそぉ!!バカ野郎!!」などと怒号が聞こえる。「弱いねぇ、巨人は」とわれわれは絶叫する。まあそんなカンジなのである。
 だからけっこううちはけっこう気に入られていて、うちのところで、たち小便をしている酔っぱらいなどがいると、飛び出てきて「バカ野郎、ここをどこだと思ってるんだ」とかものすごいタンカをきってくる。あるおっさんがたち小便をしいたときに、ちょうどワタシは帰り道で、放水が真向かいから見えていた。案の定ふじこさんがでてきて、「バカ野郎!」。放水はピタリと止まりマスタ。あれはおかしかった。オサーンはもう半べそで、ふじこさん「ちんけなものつけてんぢゃねぇYO」で、ちゃんちゃん。で、ぽかんとみていたうちの母親のところに来て、「ママ、怒っておいたわよ」。って、ままぢゃねぇよ。みたいな。
 近所の人は、けっして軽べつも排斥もしていなかった。でも、どこかに一線を引いていたと思う。その一線は、超えられるものだったかどうかはわからない。しかし、超える必要があるものであったとも思わない。あえて超えようとするのは、大げさにいえば、人間の尊厳の冒涜だろう。ふじこさんはキリッと生きていた。そして、いつの間にか街からいなくなっていた。
 野毛はいつの間にかいなくなるまちなのかな。そーいや、お好み焼き屋さんの「男女」も、いつの間にかいなくなっていた。ガキの頃風呂屋でワタシが「化粧下手くそ」と顔をのぞき込んだら、「五月蠅いガキだね」と頭をはたいた人である。巧みなてぬぐいさばきで、決してかむアウトしなかった人である。

暴力米兵対都橋の竹さん

 竹さんの一生で死刑を覚悟したことが一回だけある。それは、二十三歳の夏のことだ。巡回をおわって交番の前までくると、交番の頑丈な外開きの扉が閉まっているのだ。ガラス越しに中を見ると、米兵がわめいており、同僚は相手が相手だから、消極的である。竹さんが交番の中に入ろうとしたところ、米兵が交番の中から扉を蹴飛ばした。外開きの頑丈な扉がいきおいよく竹さんの顔面に飛んできて竹さんの帽子のひさしに当たった。竹さんは気を失いそうになりフラッとしたが、歯をくいしばって立ちなおり、咄嗟に拳銃をうばわれると感じた。そのとき、扉を蹴り開いた米兵が竹さんにむかって突進してきた。竹さんは瞬間的に柔道の「支え釣り込み足」をかけていた。米兵は道路にブザマに倒れた。そのときの竹さんに理性はなかった。米兵に交番の前の電話柱を抱えさせて手錠を掛け、バケツに水を汲んで頭からぶっかけてしまった。すぐにMPがきて米兵とともに米軍憲兵司令部に連行され、米軍検事の取調べをうけたが、「泥酔者を柱に縛ること」、「水をかけること」は、日本の古くからの風習だと言ったところ、拳銃で射殺しなかったことを感謝され、遠慮しないでビシビシ取締まれと励まされた。竹さんは内心、巣鴨プリズンに送られて絞首刑になるかもしれないと思っていたのでホッとした。
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竹さんの変身

 体験は人を変える。検挙した犯人を取り返された悔しさは、おとなしかった竹さんを百八十度変えてしまった。いや、変えられてしまったと言った方が正確かも知れない。善良な住民を守るべき警察官が倶利伽羅紋紋の入墨に恐れおののいてどうするか。この自責の念にさいなまされた竹さんは、先輩が心配するほどの暴力警察官になっていた。あるとき、竹さんが交番の前に立って警戒する立番勤務をしていると、すし屋の屋台でチンピラが暴れているとの急報があった。竹さんは、すぐ駆け足で飛んで行った。その時代では乗物は邪魔になるだけなのだ。現場に着くと、自分で彫ったとすぐわかる蜘蛛の巣の珍奇な入墨をしたチンピラが、檜造りの立派な屋台を横倒しにして蹴り付けている。竹さんは、その男の首筋をグイと掴み、両足ばらいをした。うしろにころんだチンピラは、竹さんを見るなり、「ポリ公、そんなことしていいのか人権蹂躙だぞッ!」とわめいた。竹さんは、『ふざけるな、お前のような毒虫に人権はない。人権のあるのは、すし屋の親父さんのほうだ。』と、やり返し、それから暴れるたびに足払いをかけながら、チンピラを交番に連れて来たが、土下座してあやまらせるのに一分もかからなかった。ついに、ノロマの竹さんは泣く子も黙る都橋の竹さんに変身してしまっていた。
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弱気の失敗

 新米巡査は、どこか間抜けな顔をしているのか、デンスケという街頭博打をしている極道も新米巡査が通りかかっても馬鹿にして止めようとしなかった。竹さん達四人の新米巡査は、デンスケを捕まえて交番に連れて行く途中、うしろから「やい、てめェら、なんでデンスケつかめェるんだ。」と怒鳴りながら追いかけてくる四人の大男が見えた。一人は鯉の入墨、一人は桜散らしの入墨、一人は背中いっぱいに花札を散らした入墨、一人は天女の入墨と、一目見て兄ィ分の極道だ。大変な剣幕で「こいつらをけェせ。」というとともに、づかづかと竹さん達のそばにきて、捕まえたデンスケ賭博師を連れて行ってしまった。竹さん達はアッケにとられていたが、気を取り直して交番に帰り、業界用語で「交番長」といわれていた古参巡査に恐る恐る報告した。「交番長」はカンカンになって怒り、先輩に「お前、行って連れてこい。」と命じた。先輩は、ハイと答えて一人で自転車に乗って飛んで行ったが、間もなく全員を連れてきた。竹さん達は先輩の度胸のよさに目を見張って驚いた。だが、それ以上に驚いたのは、倶利伽羅紋紋(いれずみ)の極道も、デンスケ賭博師も「交番長」の前で、ひらあやまりをしていることだった。これを見た竹さんは弱気の失敗を強く反省して、良民を守るために覚悟して強気になる決心をした。
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 [竹さん]功労者転じて間抜け野郎

 交番に勤務して一週間程すぎたころ、伊勢佐木町三丁目の質屋に二人組の強盗が押し込み、現金二万円を奪って逃げた事件がおこった。独身寮にいた竹さんたちは、すぐ呼び出された。署長は細かい指示をして張込み場所に竹さんたちを配置した。桜木町駅に配置された竹さんは、電車から降りてきて、すぐ切符を買い改札口に入ろうとする男をみつけ、おかしいと思い交番に連れ込んだ。男は一万円持っていた。竹さんは、被害額が二万円だから二人で山分けすると一万円になるので、犯人かも知れないと思いネバリにネバッテ質問した。見ていた同僚はみんな竹さんが相棒の一人を捕まえたと思ったらしい。だが、竹さんは当時の新語?「人権蹂躙」がフト頭に浮かんでしまっていた。「たまたま一万円持つていたかも知れない。」と善意?に決断し、「失礼しました。」と言って帰したとき、刑事が二人飛び込んできて「ホシはどこだ!」と言った。竹さんが「いま帰しました。」と言ったところ、血相変えてホームに飛んで行ったが間に合わず、電車は出た後だった。手配の結果、上野駅前交番で捕まった。だが、上野署の犯人の調書に「桜木町駅前で捕まって、しつこく質問されたので、観念して白状しようとしたら、なぜか帰された。」とあったため、署長は「間抜け野郎」とカンカンになり、竹さんは悔しいタメ息をついた。
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野毛のまち(伊奈正人)

 私の生まれた実家の近くは歓楽街である。ヌード劇場や、ピンク映画館や、連れ込み宿などなどが、昔も今も建ちならんでいる。同級生には、そういうギョーカイの子どももいるわけである。だからおよそ小学生が聞くべきでないような話題が聴けてしまうし、また見てはいけないようなものも、簡単に見られてしまったのである。
 弟の同級生は姉がハーフだと自慢していた。そいつは純日本人である。家は飲み屋だった。お姉さんは有名タレントになった。
 近くの風呂屋には怪しげなギョーカイ人が、たくさんやってきていた。男湯には一列ずっとクリカラモンモンが並んでいたこともあるし、女湯には金髪染めがとれかかったストリッパーがならんでいたこともある。なかには怖い人もいたんだろうけど、ギョーカイ人はおもしろがって、われわれにあることないことを、話して聞かせた。(有名なジャズ喫茶のオヤジとかも来ていたことを知ったのはずっとあと)。
 低学年の頃は、真に受けて、高学年になると面白がって、ギョーカイ人のインチキ臭い話を聞いた。そして聞いた話を得意げに、次の日に学校で話すことになる。絵日記に風呂屋の「男女」(今で言うニューハーフ)のことを書いた時には、先生も苦笑していた。「将来の夢」を書く作文では、「十八歳になったら十八禁の映画を見たいです」と書いてクラス中の喝采をあびた。
 また、見よう見まねで、ストリップショーのまねをしていて叱られた時、「あんなところに行くのはヘンな人ばかり」と言われて、「よく知ってンじゃん」と当意即妙(?)に答えた時はボコボコに殴られた。先生はたいそう心配して、「この子は上手く育てないととんでもないことになる」と親に言ったそうである。そして、私立中学を受験するよう両親を説得した。
 二部屋に六人住むような家で、左官のこどもに学問なんてはいらないという祖父がいて、私立などは別世界だったのだが、学校の先生の言うことは庶民には絶対で、両親は大きな決断をすることになる。あまりに授業料が高く、一家で内職をしながら、通った。苦い思い出である。