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戦後横浜野毛界隈 nogelog

大正生まれが野毛界隈を語る。

ちぐさのおやじ(伊奈正人 2004年10月31日執筆)

 国際ジャズ名誉の殿堂入りをしたってことで、昨日秋吉敏子がNHKに出ていた。今はさほどジャズに関心があるわけでもない、秋吉の名前を思い出したのは、マンデイ満ちるのCDを始めて買ったとき以来かもしれない。水俣などを作品化したってことで、感心した人も多いんだろうけど、随分長いこと、そんなのは欽ちゃんの仮装大賞で水俣やるみたいなもんじゃないのとか、思っていた。ヘイトアッシュベリーな時代のジャズシーンっていうのは、そういうのとはちょっとちげーんじゃないかなんて、たいしてジャズ事情を知りもしないで思っていた。だいたい私は、秋吉は、ルー・タバキンの七光りで有名になったと思っていたくらいのアホたれだったんだけど、それもけっこう間違いだったということも、あとでわかった。だってビックバンドできたの70年代だしぃ~。そんな私でもNHKの番組はなかなかに面白かった。ものすげぇジャズマンたちとタメで話ができたってことや、いろんな記念写真が残っているのは、さすがに圧巻だった。演奏の善し悪しは、わからないけどね。ヒロシマを今度作品化するようだ。70すぎで、なお製作意欲が衰えないことは、すごいことだ。そんな秋吉も、あとナベサダなんかも、一時来ていたというのが、横浜野毛にあるジャズ喫茶ちぐさだ。店のことは、東京ブルーノートのサイトから引用しておく。

 無愛想な親父さん、おしゃべりをすると常連がキッと睨む緊張感。あのジャズ喫茶独特の雰囲気がいいと言う人も、ちょっと苦手と言う人も、一度は行ってみたいのがここ。昭和8年に開店した、現存する最古のジャズ喫茶『ちぐさ』です。若き日の渡辺貞夫秋吉敏子たちが毎日のように通い、何度も同じレコードを聴き、譜面に書き取り、互いの情報を交換し合ったこの店は、いまも当時のまま。しかし、ジャズ喫茶の親父さんのイメージともなった創業者、吉田衛さんは一昨年の秋に永眠。その一周忌には、この店を愛し、親父さんを慕った大勢の音楽家が集まり、追悼のコンサートが開かれました。現在、店を支えているのは、長年、吉田さんと共に歩んできた妹の孝子さん。「大声で話す人、酔っ払った人、周囲に迷惑をかける人、お断り」のルールは、いま、孝子さんが守っています。
http://www.bluenote.co.jp/city/chigu.html

 前にも書いたが、ここのおやじは私にとって、風呂屋で会うおっさんという以上の意味はなかった。中学、高校と、夜11時すぎになると風呂屋に行って、うだうだいろんな人と話す。「くにのゆ」という風呂屋だったけど、「国乃湯」なのか。「邦の湯」なのかわからない。番頭さんはクニちゃんといい、おそくまで風呂にいると、われわれが湯船につかっていても、汚ねぇベンチだとか、桶だとかをばんばん湯船にぶち込んできて、帰れ帰れと掃除を始める。ドラマ『時間ですよ』で樹木希林がやっていた「浜さん」にそっくしのおばちゃんの店員もいて、帰れ帰れと言う。でも、われわれは気にせず湯船につかり、それから堂々30分以上もいたりした。その時間は、風俗の仕事ひけたおっさんとか、逝ってよしな連中が集まっていた。「おまえ今度できたヌード逝った?」「逝ったけど、たいしたことなかった」「おまえそれはだめ、最終ステージ逝かないと」などと仲間うちで話している。それを、馬鹿ガキ何人かが、ほよぉ~~って聴いているカンジ。ろくでもないこといろいろガキに吹き込むおっさんたちがいた。「おまえカゼか、カゼなんかポン撃てば一発でなおるけどな。ガキに早いからな」とか。そんな銭湯に、決まった時間に来て、キチッと服をたたんで入浴し、キチッと入浴して、キチッと帰ってゆくおやじがいた。挨拶も、せいぜい黙礼くらいの人。そんな記憶しかない。それが、弟が大学に入り、『スイングジャーナル』買ってきて、あのおっさんがでていると興奮状況。ほよぉ~~ッテまた驚きますた。

 その話を家でしたら、闇市の野毛地区をパトロールしていた、うちの親父は知っていた。おっさんのこと。ちぐさのこと。他にも高校の先輩で通っていた人がいて、最初は相手にされないけど、そのうち店の手伝いを頼まれるようになると「一人前」だという。ググってみたら、そんな思い出話が、とある消滅したブログにキャッシュであった。

店が開くのはだいたい12時頃でしたが、ひまなこともあって通いつめました。ある日親爺がカウンターから、ぼうやちょっとこっち、と呼ぶんです。一人だったのでとことこいくと、ちょっと出かけてくるから中に入って・・コーヒーはこうやって、リクエストを聞いて・・レコードは名前順だから・・通い始めてまだ2~3ヶ月の頃でした。それからは、12時頃にいって店をあけて、まず好きな曲をかけて夜まで、という日が多くなりました。少し前にある人にちぐさの話をしたら是非行きたいというので多分10年ぶりくらいに一緒に行きました。お姉さん(といっても亡くなった親爺の妹ですので・・)がいて、・・・怪しげで、敷居の高いジャズ喫茶「ちぐさ」は健在でした。

 で、実は私はこういう敷居の高さもあるけど、一度もちぐさに逝ったことはない。弟もそれなりのコレクションを有するかなりのジャズファンなんだけど、逝ったことはなかったはずだ。こういうところが存在していて、商売になっているということは、すごいことだなぁと・・・わけわかめな話になってしまいました。
(追記)
 ちぐさのおやじが死んで、しばらくやっていた店もなくなって、記念館みたいなのができたと思ってたら、ダウンビートの並びに復活した。看板にハットかぶったしゃれおつなぢぢいがいて、どこの外タレかとおもったら、ちぐさのおやじだった。しかし、父親のように絵を描くようなスケッチは私にはかけないな。