戦後横浜野毛界隈 nogelog

大正生まれが野毛界隈を語る。

ストリップ・ショウの取締り

 敗戦後、わが国の性風俗は、アメリカ映画の輸入などで戦前の厳格さが消えて、なにもかもアメリカのマネをした。それは、映画界から始まったように思えた。その後、舞台に額縁を設置して、全裸の美女がその中に入り、ポーズをとってジッと立ち、あたかもヴィナスの絵のように見せる額縁ショウが現れた。わが国の男達は、その美しい姿にウットリさせられた。横浜国際劇場でもそのショウが上演されたが、「わいせつ性」がないということで、取締りはしなかった。ところが、堂どうの裸踊りが小さな仮設劇場で行われるようになり、益ますエスカレートして放っておけなくなった。竹さん達数名の交番勤務員が署長室に呼ばれ、写真を撮影して検挙するように命じられて入場料金を渡された。竹さん達は内心ウキウキしながら切符を買って薄暗い粗末な劇場に入った。
 舞台の上では、盲腸手術の傷跡のある丸裸の女性が二枚のお盆で秘密の部分を交互に隠しながら踊っている。テンポの早い音楽にあわせて、お盆の速度が速くなると秘密の部分は丸見えとなり、観客は喚声をあげる。なかには手をのばしてさわろうとする者もいる。ところが、検挙のサインが出ない。どうしたのかと聞くと、お盆の速度調節が巧妙で写真が撮れないというのだ。結局、たっぷりサービス?されて終った。相手の方が一枚上手だったということか。?
f:id:nogelog2014:20140830144047:plain