戦後横浜野毛界隈 nogelog

大正生まれが野毛界隈を語る。

台風と交番

 テレビがなかった頃は、ラジオが最も早い情報源だ。台風が発生すると、その大きさと進行方向、風速などはラジオで次つぎと報じられる。その頃は、ラジオのない家もあるので、ラジオのある家は近所隣の人びとに台風情報を伝えた。戦争中の空襲で家を失った人びとは、仮に作った急拵えの粗末な小屋に住んで居たため、強風で家を飛ばされないように家の補強に大わらわとなる。
 長い間の戦争で働き盛りの男手を失った家もかなりあった。台風警備も警察の仕事であるため台風情報と警備上の指示は、本署から交番に頻繁に伝えられる。交番勤務員は、ゴム合羽とゴム長靴を履いて巡回し、大声で台風情報を伝えて歩き、補強の弱い家には補強を指導し、男手のない家には手を貸してやる。崩れそうな崖下の家は特に平素から把握しておき、緊急時には漏らさず巡回をした。台風時の巡回中に老婆と二人の女の子ばかりで家の補強ができず、飛ばされそうな家の扉を三人で押さえて震えている一家を見て補強してやり、竹さんは、永く感謝された。台風が通過すると、被害状況を把握して本署に報告しなければならない。台風時の野毛の住人は、こうしてズブ濡れで一睡もせず、力をあわせて強風豪雨のなかで、ただ夢中で過ごした。
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