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戦後横浜野毛界隈 nogelog

大正生まれが野毛界隈を語る。

手信号巡査

竹さん

 交番勤務一ヶ月で竹さんは交通巡査を命じられた。戦争中、米軍の横浜大空襲で焼け爛れた信号機の柱があちこちの交差点に立っており、動いている交通信号機は一つもなかった。占領後の米軍は、日本警察官に手信号をさせることで信号機に代えた。手信号の指導は、米軍憲兵中尉と憲兵軍曹が担当し、警察署の道場や近くの中学校の校庭でときどき行われた。その頃はなんでもアメリカ崇拝主義であり、日本警察官がいくら一生懸命手信号をしても、日比谷交差点で行っているMP(米軍憲兵)の手信号ばかり日本の文化人は絶賛し、日本警察官の手信号をケナシ続けた。そのため、職務熱心?な竹さんは、わざわざ東京の日比谷交差点まで見学に行った。たしかにカッコイイ、しなやかに両手を上にあげて、華麗に手まねぎをする。竹さんは一日中、見つめていた。横浜に帰った竹さんは、早速華麗な手信号のマネをした。なぜか街頭の人びとは大笑いをしている。そのうち、本署から交通主任がジープで飛んで来た。米軍憲兵司令部から『桜木町駅前で巡査が踊っているので止めさせろ』と通報があったというのだ。その後の竹さんの手信号から、しなやかと華麗?が消え、なぜか、もとの日本警察官に戻っていた。
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