戦後横浜野毛界隈 nogelog

大正生まれが野毛界隈を語る。

おかまのふじこさん(伊奈正人)

 うちの実家の向かいにある居酒屋の何番目か前の経営者のころ、ふじこさんという人がつとめていた。いわゆるおかまのひとであった。内藤陳さん@トリオ・ザ・パンチにちょっと似たカンジで、しかしなかなかの長身。足がすらっとしているのが自慢なのか、いつも颯爽と短パンなどをはいており、軽くアタマに手を添えたキメのポースが得意だった。なかなか気を遣う人で、人の善意のふところに入るのはそこそこうまいのであるけれども、なんかすごく疲れているなぁと、子供心に思った。
 ありがちなことだが、口はめちゃめちゃ悪い。そういう素朴な好意の表し方をする人だった。大の巨人ファンで、巨人が優勢だと、飲み屋の中からでかい声で「うぉーーー」と雄叫びをあげる。ホエールズファンのうちの母親などが、「くそぉバカ野郎」とか怒鳴る。すると「弱いねぇ、大洋は!」と聞こえよがしにいう。逆転したりすると、今度はこっちが「うぉおおおおお」と言う。向かいからは、「くそぉ!!バカ野郎!!」などと怒号が聞こえる。「弱いねぇ、巨人は」とわれわれは絶叫する。まあそんなカンジなのである。
 だからけっこううちはけっこう気に入られていて、うちのところで、たち小便をしている酔っぱらいなどがいると、飛び出てきて「バカ野郎、ここをどこだと思ってるんだ」とかものすごいタンカをきってくる。あるおっさんがたち小便をしいたときに、ちょうどワタシは帰り道で、放水が真向かいから見えていた。案の定ふじこさんがでてきて、「バカ野郎!」。放水はピタリと止まりマスタ。あれはおかしかった。オサーンはもう半べそで、ふじこさん「ちんけなものつけてんぢゃねぇYO」で、ちゃんちゃん。で、ぽかんとみていたうちの母親のところに来て、「ママ、怒っておいたわよ」。って、ままぢゃねぇよ。みたいな。
 近所の人は、けっして軽べつも排斥もしていなかった。でも、どこかに一線を引いていたと思う。その一線は、超えられるものだったかどうかはわからない。しかし、超える必要があるものであったとも思わない。あえて超えようとするのは、大げさにいえば、人間の尊厳の冒涜だろう。ふじこさんはキリッと生きていた。そして、いつの間にか街からいなくなっていた。
 野毛はいつの間にかいなくなるまちなのかな。そーいや、お好み焼き屋さんの「男女」も、いつの間にかいなくなっていた。ガキの頃風呂屋でワタシが「化粧下手くそ」と顔をのぞき込んだら、「五月蠅いガキだね」と頭をはたいた人である。巧みなてぬぐいさばきで、決してかむアウトしなかった人である。