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戦後横浜野毛界隈 nogelog

大正生まれが野毛界隈を語る。

暴力米兵対都橋の竹さん

竹さん

 竹さんの一生で死刑を覚悟したことが一回だけある。それは、二十三歳の夏のことだ。巡回をおわって交番の前までくると、交番の頑丈な外開きの扉が閉まっているのだ。ガラス越しに中を見ると、米兵がわめいており、同僚は相手が相手だから、消極的である。竹さんが交番の中に入ろうとしたところ、米兵が交番の中から扉を蹴飛ばした。外開きの頑丈な扉がいきおいよく竹さんの顔面に飛んできて竹さんの帽子のひさしに当たった。竹さんは気を失いそうになりフラッとしたが、歯をくいしばって立ちなおり、咄嗟に拳銃をうばわれると感じた。そのとき、扉を蹴り開いた米兵が竹さんにむかって突進してきた。竹さんは瞬間的に柔道の「支え釣り込み足」をかけていた。米兵は道路にブザマに倒れた。そのときの竹さんに理性はなかった。米兵に交番の前の電話柱を抱えさせて手錠を掛け、バケツに水を汲んで頭からぶっかけてしまった。すぐにMPがきて米兵とともに米軍憲兵司令部に連行され、米軍検事の取調べをうけたが、「泥酔者を柱に縛ること」、「水をかけること」は、日本の古くからの風習だと言ったところ、拳銃で射殺しなかったことを感謝され、遠慮しないでビシビシ取締まれと励まされた。竹さんは内心、巣鴨プリズンに送られて絞首刑になるかもしれないと思っていたのでホッとした。
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